【お仕事】他者が頑張りを見てくれないことを嘆かない
勝手に乗せられて勝手に買いましたが、買って良かった。専門的な正確性は私も知りませんが、最近読んだ他のビジネス書籍の根底にも結局構造主義の思想が流れているように思われます。 https://t.co/9lmu1fxB7t
— ぼっち法務 (@one_onlegal) November 4, 2018
無論、私は専門家ではいので、「構造主義とは何ぞや」という点に深入りするのは、危険極まりないので、考えたことだけを簡単に記載します。
同書の中にある、下記の一節は、ビジネスパーソンにとって重要なポイントです。
「ネットワークの中に投げ込まれたものが、そこで「作り出した」意味や価値によって、おのれが誰であるかを回顧的に知る。主体性の起源は、主体の「存在」にではなく、主体の「行動」のうちにある。これが構造主義のいちばん根本にあり、すべての構造主義者に共有されている考え方です。」
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つまり「自分が誰なのか?」という問いの答えは、これまでの自らの残した成果や実績、これらの過程(=過去の事実)によってわかるということです。自己を「過去の事実によって形作られる構造物」として認識すると言い換えても良いのかもしれません。
就活の際に、「まずは自分の歴史年表を作ってみましょう」といったアドバイスを受けるのは、自分が何たり得るかを探るアプローチの一種なのでしょう。
ここで、自分ですら過去の事実から自己を規定するのですから、他者から見る場合は更にその傾向が強まるといって間違い無いでしょう。
但し、他者は、成果や実績に至る「過程やプロセス」を通常見ていません。仮に見ていたとしても、仔細まで記憶していません。従って、他者との関係でいうと、その人がどんな成果や実績を残したのか、ということでしかインパクトを残せないことになります。
このため、仮に何か業務上で失敗してしまうと、他者には、その失敗という結果だけが印象に残り、「自分がどれだけ頑張ったか」という過程やプロセスは評価の対象になりません。
よく結果が全てだ、と言われることの一つの根拠は、「自分の事実の認識内容」と「他者の事実の認識内容」の間にこうした差があるからです。
もっともこの差は逆手に取ることもできます。それが「ハッタリ」というものです。
例えば、私の業務である法務で言えば、同僚は、「私が個別の〇〇法を一体どれだけ勉強してきたのか」なんて知る由も無いわけです。
ただ、私が「やれる」と宣言し、現実に一定以上のアウトプットを出せば、同僚は「この人は〇〇法もよく理解しているのだな」となるわけです。
勿論明らかな嘘はどこかで破綻する危険があるので取るべきではないですし、最終的に一定以上のアウトプットを出すことは必須ですが、その過程でハッタリに自分が追いつくように努力をする以上、結局は中身も伴う成長に繋がります。ハッタリが「過去の事実」を後から作る手伝いをしてくれるわけです。
私が目にしてきたいわゆる仕事のできる方は、このハッタリの設定の仕方が上手い方が多いですね。
現状の業務内容から一歩踏み出したい方は、そういった自己と他者の認識の差を上手く利用して、次のステージに上がるよう「ハッタリ」を試みるのも手段の一つだと思います。是非市場価値を高めて行きましょう!